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第二次世界大戦に米国が参戦したとき、武器や戦闘機など戦地で必要な物資を製造するのは国内で行えたが、戦地が距離的に離 れていたため、物資と兵隊を戦地に送る安全な経路を確保 するのが大変であった。当初船舶が主に使われたが、敵の潜水艦空の攻撃にさらさ れ、安全とは言い難かった。
そこで当時造船最大手のHery Kaiserが考えたアイディアがHK-1フライング・ボートであった。すぐに航空機の製造と設計のイノベーターとして有名だったHowa rd Hughesと組んで、巨大な飛行艇を製造するベンチャー企業を立ち上げた。新しい飛行機の名前はふたりのイニシャルからHK-1とつけられたが、"Spruce Goose(木製のガチョウ)"という名で知られている。
巨大な飛行艇は当初戦争に必要な物資を節約するために木で作る計画がたてられた。 当 初これだけ巨大な機体を木でつくることの難しさは未知であったが、チームの努力により数々の難関を乗り越えることができた。材木でつくられた骨組みは近くでよく見ても木で作ら れているようには見えなかった。ヒューズは設計・製造を通して厳しい現場監督に徹し、細かいところまで目を光らせていたので、この新しい飛行艇はほぼ完璧で、素晴らしい仕上がりとなった。しかし残念ながら完成して飛行準備が整ったのは終戦後だった。
完成が近づくと最終コストがでてきた。戦後の政府予算の厳しい状況下でプロジェ クトは進められていたため、ある議員は”飛ぶ材木置き場”といやみを言ったほど莫大な コストがかかっていた。ハワード・ヒ ューズはこのプロジェクトと彼自身について説明するためにワシントンDCに呼ばれていた。ヒヤリングの無い日を利用してグースのテスト飛行のためにカリフォルニアに戻った。そしてこのテスト飛行で事故が起きてしまった。これが意図されたものかどうかは別としてこの事故によって、このプロジェクトは中止になり、巨大飛行艇のフィナーレとなってしまった。ヒューズには資金使途に関して疑いの目が向けられていたが、このフライトが失敗に終ったものの一応形として完成した事実を世間に知らしめる ことになったためヒューズとプロジェクトの嫌疑を晴らすこととなった。”スプルース・グース”の名で知られている機体、H-4は倉庫に収めれられ、1976年4月ハワード・ヒューズが亡くなるまで、その機体は公にされられることなく、厳重に保存されていた。

Specification:
ディテール ・マホガニー
・プロペラ回転
・1/200スケール
・ウィング・スパン 約49cm/全長 約34cm
・スタンド付き

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この記事のURL | 2007.12.31(Mon)17:04 | モデル | 
 
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